靴

>>>>>>>> 生命のメッセージ展 in 阿倍野 <<<<<<<<

2001年11月23日(祝)〜25日(日) 大阪府大阪市
阿倍野区役所ホール」で開催

 会場には2140名の方が訪れた。会場では「対話」というテーマをかかげ、「奪われた生命との対話・訪れた家族や来場者との対話・自分との対話」を実感するメッセージ展となった。阿倍野会場は広くゆとりがあり、椅子に座って一息ついては、またオブジェと対話するという方、参加遺族とお話をされる方など、長い時間を過ごして下さる来訪者が多く見られた。

『音楽で絆を深めたメッセージ展』

 3日間を通じて多くのボランティアの方が、演奏を披露してくれた。大阪市立文の里中学校吹奏楽部が顧問の有田伸一朗先生の指揮で、オブジェの中に混じり「窓の外には」(小森香澄 原詩の曲)、「夕刻と時計台」(米村泰彦 作曲、斎藤信介 編曲)「イエスタディワンスモア」(カーペンターズ)を演奏。涙ながら演奏する部員、感涙する来訪者、参加者。
会場内が音楽で一つになった。沖縄県の西原高校は、兵庫県で行なわれた「吹奏楽のコンクール」から沖縄に帰る途中に来場して演奏。アマチュアグループ「PEDu」が、ミニコンサート最後に「窓の外には」を唄い、小森さんのご両親を含めて、西原高校生全員が前に立ち手をつないでの大合唱になった。また、篠原絵奈ちゃん(享年2才)のお父さん・幸二さんが、妹を亡くしたお兄ちゃんと父親である自分自身の気持ちを素直に表現した自作の「えなちゃん」を唄ってくれた。その他にも地元の「あべの吹奏楽団」の演奏、米村泰彦(享年20才)さんの弟である昌倫(まさみち)君のグループらボランティアがミニコンサートを行い、メロディーとポエムのメッセージが会場にあふれた。

『子供らへつながる、いのちの教育』

 東大阪市立縄手南小学校の生徒12名が、教頭他二人の先生に引率されて、課外授業として来場。 その他、学校でのお知らせや、先生から「感想文」を宿題にされたという小学生の来場が目立った。米村泰彦君の母校である大阪市立工芸高校の生徒がボランティアで参加(彼らが作ってくれた看板は、これから全国へ旅をすることになる)。彼らが「子供の遊び場コーナー」で小さい子供たちのお世話をしてくれたおかげで、親御さんにじっくりオブジェと対話していただくことができた。「いい機会をあたえていただいてありがとうございました」と挨拶をしてくれたボランティアの生徒の言葉が印象的だった。

 来場された方からは、単に「かわいそう」「痛ましい」という同情や憤怒だけでなく、それぞれの立場で明るい未来へ向けての教訓にしたいという感想をたくさん頂いた。理不尽な事件で奪われた家族を、あえて公開する遺族の気持ちが通じたという手ごたえを感じると同時に、失われた「いのち」が発信するメッセージの大きさを感じた。

阿倍野区役所

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会場となった
阿倍野区役所。

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扉の向こうで、
私たちを穏やかに
迎えてくれる。

扉の向こう

ホール

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広々としたホールに並ぶ
「生命のメッセンジャー」。

→
幼くして奪われた
いのち。
親子でメッセージを
受信する。

親子

小さい靴

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お気に入りの靴。
あまりに小さい。


→
生きていた証に
触れる。

生きていた証

じっくりと対話

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アルバムを手に取り、
じっくりと対話する。

→
新聞やニュースを見て、
かけつけてくれた
人も多い。

会場内

文の里中学校吹奏楽部

←
文の里中学校吹奏楽部
会場全体が優しい、
そして力強い音に
包まれた。

→
熱い歌声が
届くように。

演奏

演奏

←
信号無視の
無謀ドライバーに
生命を奪われた
青年の弟さん、
ほか有志による演奏。
雲太郎バンド
子供コーナー
↑ 広いホールの一角に
子供コーナーが設けられ。
初めて会った者同士が
戯れる微笑ましい光景。
→
すばらしい
「対話」の場を
とりまとめてくださった
米村氏。
↑ 雲太郎バンド 
米村氏
赤い玉
↑ 来訪者が1本1本つなぐ、
いのちの赤い玉は
大きく重く育っていく。


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